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ジョーカー:フォリ・ア・ドゥのあらすじ紹介
【起】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
前作のラストでアーカム州立病院に収容されたアーサー・フレックは、ゴッサムの混沌の象徴となりながらも、閉鎖された世界で孤独な日々を送っていました。
そんな彼の担当となったのが、精神科医のハーリーン・クインゼルです。
彼女はアーサーの歪んだカリスマ性に強く惹かれ、彼の過去や内面に深く踏み込んでいきます。
当初は専門家としての知的好奇心でしたが、アーサーの語る悲劇と哲学に魅了されるうちに、それは次第に彼への歪んだ愛情と崇拝へと変貌していきました。
ハーリーン自身もまた、社会からの抑圧や満たされない日常を抱えており、アーサーの中に自分と同じ魂の叫びを見出し、彼を治療の対象ではなく、救済者として捉え始めるのです。
この出会いが、後にゴッサムを震撼させる狂気のデュエット「ジョーカーとハーレイ・クイン」誕生の序曲となりました。
【承】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
アーサーを神格化するようになったハーリーンは、ついに彼の脱獄を計画し、実行に移します。
彼女は精神科医としての立場を悪用して病院の警備体制の弱点を突き、外部のジョーカー信奉者と連携して周到な計画を練り上げました。
この一連の過程は、二人の倒錯した関係性を象徴する幻想的なミュージカルシーンとして描かれます。
彼らの妄想の中では、二人は抑圧された世界から抜け出す悲劇の恋人であり、その逃避行はロマンティックなダンスとして表現されます。
しかし、その華やかな妄想の裏では、看守への冷酷な暴力や裏切りが現実として進行していました。
ハーリーンはもはや医師の仮面を脱ぎ捨て、後のハーレイ・クインとしての狂気を隠さなくなります。
アーサーは彼女の献身的な愛と狂気を受け入れ、彼女を利用して再び世界に自らの存在を証明しようと画策するのでした。
【転】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
脱獄に成功したアーサーとハーレイは、ゴッサムシティに再び混沌の渦を巻き起こします。
二人は「ジョーカーとハーレイ・クイン」としてメディアをジャックし、その行動は単なる犯罪を超え、社会への反逆を謳うパフォーマンスアートの様相を呈していきました。
特に、人気トーク番組を乗っ取り、そこで自分たちの「愛の物語」を歪んだミュージカルとして生放送するシークエンスは、本作のハイライトと言えるでしょう。
しかし、二人の「フォリ・ア・ドゥ(二人狂い)」の関係には徐々に亀裂が生じ始めます。
ハーレイはアーサーとの完全な一体化と永遠の愛を望みますが、自己中心的なアーサーにとって彼女は、あくまで自分の狂気を映す鏡であり、時に自分を脅かす邪魔な存在でしかありませんでした。
彼の予測不能な暴力性と気まぐれに翻弄される中で、ハーレイは初めて孤独と絶望を感じ、彼女自身の狂気がさらに危険な領域へと加速していくことになります。
【結】ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
物語のクライマックス、アーサーとハーレイはゴッサムの権威の象徴である市庁舎を舞台に、最後のパフォーマンスを繰り広げます。
しかし、それはもはや協力関係ではなく、互いの存在を賭けた狂気の主導権争いでした。
ハーレイはアーサーを超える新たな混沌の象徴になろうとし、アーサーは自分の物語から彼女を排除しようとします。
壮大でグロテスクなミュージカルシーンの中で二人は踊り、歌い、そして互いを激しく傷つけ合いました。
そして物語は、これまでの出来事全てがアーサーの妄想だったのか、それともハーレイの妄想だったのか、あるいは両者の狂気が混じり合った産物だったのか、全く判断がつかないまま衝撃的な結末を迎えます。
アーカム病院の独房で一人静かに微笑むアーサーの姿と、どこかの舞台で万雷の拍手を浴びるハーレイの姿が交互に映し出され、二人の狂気は決して交わらず、しかし永遠に互いを映し続けることを示唆して、観客に強烈な問いを投げかけたまま幕を閉じるのでした。
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥの感想
前作が描いた「社会から疎外された個人の狂気」というテーマを継承しつつ、「フォリ・ア・ドゥ(二人狂い)」の副題通り、狂気が他者へ伝染し、倒錯した共犯関係を生み出す様を鮮烈に描き切った傑作です。
愛と依存、共感と支配の境界線を曖昧に描き、観る者に何が真実で何が妄想なのかを絶えず問いかけます。
トッド・フィリップス監督は、ザラついたリアリズムと幻想的なミュージカル演出を見事に融合させ、登場人物の不安定な内面世界を可視化することに成功しました。
ホアキン・フェニックスのジョーカーは言うまでもなく圧巻ですが、本作の魂はレディー・ガガ演じるハーレイ・クインにあります。
彼女の傷つきやすくも危険なパフォーマンスは、観る者の心を鷲掴みにしました。
特に、面会室のガラス越しに二人の視線が交錯し、狂気が共鳴を始めるシーンは、セリフなくして全てを物語る名場面です。
鑑賞後は、美しい悪夢を見たかのような陶酔感と、道徳観を揺さぶられる深い疲労感に襲われました。
エンターテイメントとして消費して良いのか戸惑うほどの衝撃を与える、問題作であり意欲作です。
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥのおすすめ理由
前作が打ち立てた重厚な世界観を安易に繰り返すことなく、ミュージカルという極めて大胆な手法を用いて「狂気の伝染と共犯関係」という新たなテーマに挑んだ、その野心的な姿勢を高く評価します。
ホアキン・フェニックスとレディー・ガガが織りなす、火花が散るような演技の応酬は、本作を唯一無二の作品へと昇華させています。
ただし、その極めて実験的な作風と、観客を意図的に混乱させ突き放すような難解な結末は、前作以上に賛否が分かれるであろうことを考慮し、満点の5.0ではなく4.2という評価にしました。
しかし、映画史において語り継がれるべき挑戦的な一作であることは間違いありません。
ジョーカー:フォリ・ア・ドゥのその他情報
第81回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、金獅子賞にノミネートされるなど、公開前から高い評価を獲得しました。
特に主演のホアキン・フェニックスとレディー・ガガの演技は各方面から絶賛され、数々のアワードでの受賞が有力視されています。
一方で、犯罪行為を美化するかのようなミュージカル演出に対しては、一部の批評家から倫理的な懸念が示されるなど、前作同様に社会的な議論を巻き起こしました。
興行的には世界的な大ヒットを記録し、その年の映画界を代表する一本となりました。


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